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【自分を守れる自分に】小さなところでこだわろう

こんばんは、YUKISHIBAです。



突然ですが、僕の中では最近男と女の間を行ったり来たりするのが趣味みたいになっています。(いきなり何のカミングアウト)


ある時は男、ある時はお姉さん、またある時は好きな女キャラ…みたいなことをしていると、性別はグラデーションだとつくづく感じます。


そこへカテゴライズすることに一体どれだけの意味があるでしょうか。

寧ろどんなカテゴリーに属していようが属していまいがどうでもいい、けど他人から勝手に当てはめられたくない、「性別:YUKISHIBA」という思いが強まりました。


そういう意味でも今年は、特にコスプレの世界に入ったのが大きなきっかけになりました。


お姉さんメイクYUKISHIBA自撮り

今日はアレなカミングアウトの話ではなく、自分の魂を守るための話です。



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お姉さんコンカフェにキャストとして参加した時のことをふと思い出していました。(お姉さんとは)


あくまでもお姉さんとして立つからにはその場では出来る限り「お姉さん」でいよう。

そもそも今は対外的には「性別:YUKISHIBA(ちなみに年齢もYUKISHIBA)」を(しかも自ら)名乗っている以上、元の性別なんか関係なくそこを自ら曲げることが無いよう気を付けるつもりで臨みました。


なのでお客様としていらしたとある気さくな紳士から「きみって男なの??」と聞かれた時も、「男なんです」とは言わず、思っていることを軽く説明したりはぐらかしたりしていました。



今思って見ればその紳士にだって悪意はなく話を重ねたかっただけだろうし、ああいう時ぐらい「あぁ男ですよw」と答えてあげた方が、相手も気持ちよく話せたんじゃないか?とも思わなくはないです。



ただ、その時僕は「ここで曲げてるようじゃダメだ」と思ったのです。




自分を曲げてばかりいると曲げ癖が付く



最初に、


人は普段やっていることを大一番でもやります



普段手を抜いてばっかりの人が本番だけ本気を出そうったってそんなもの出ません。

同じくして、

普段から自分を曲げている人は、大事な場面でも自分を曲げます。我の通し方を体が忘れるのです。



人生の中で大一番と呼べるような場面はそう多くはありません。

大抵の人にとって、人生の大部分はごく小さな決断の連続です。


そういう小さな決断の場面で「このぐらいいいか」と自分の考えや思いを引っ込めていると、いつしかそれがすっかり習慣になって、ここぞという時にも我を通せず、一人要らぬものを溜め込んだり割を食ったりするのです。


頭を使わない生活をしているとだんだんボケてくるように。

運動を辞めると筋肉が落ちて体のキレが鈍るように。




我を通すのは「面倒だし苦しい」


勘違いしている方もいるかもしれませんが、「我を通す」というのはやる側にとっても心地の良い行為ではありません。寧ろ勇気が要るし、罪悪感さえ伴い得る行為です。


先に話した例のように、結果としてお客様の楽しもうという気持ちに水を差してしまい兼ねない。

相手に大なり小なりストレスを与える行為であるし、それがわかるので僕にもストレスがかかります。



そのうえ、より曲げられない大事なものを守らなければいけない時ほど難しい。

より大きな「地雷」を踏まれるせいで感情的になってしまうかもしれないし、

切り返し方が複雑で言語力が求められるかもしれないし、

目上の人に歯向かう形になって、自分の立場を危うくするかもしれない。


そういう時はどれだけ肝が据わっているか、切り返しにどれだけ慣れているかが重要になります。




基本的には相手の言うことを一切否定せず「はいそうですね~」と流していた方が、労力はかからないんです。


男は我慢とも言います。しかし「我慢」と「思考の放棄」を見分けるのは困難です。


例えば上司から「お前の嫁さんブスだな~~wwお前こんなんがいいの?ww」と言われて

「あぁ、はいそうですよね~、アハハ…」

みたいに流してしまう旦那さんってどうですか?



「このぐらいならいいか」とか「自分が我慢すればいい」とか思ってしまう気持ちもわかります。

人の体力や精神力は無限ではありませんから。



自分を曲げる・大切なものを自ら腐す経験が積み重なると、「自分は主張が出来ない人間」「大切なものを守れない人間」と自分の言葉や振舞いを介して学習し、ますます我を通すことが出来なくなります。


ただしそれも苦しいのは最初の何回かだけかもしれません。繰り返すように人間は習慣の生き物ですから。


とはいっても、苦しみを感じなくなったからと言って、己の中の歪みが消えるわけではありません。


自分の魂の意思をないがしろにしたツケは、自分の中にじわじわ溜まっていきます。

しばらくすると複利に切り替わり、もう自力では「解約」が困難になります。

そして考え得る最悪の形で牙をむくでしょう。



「あえて」こだわってみる


そういう事態を防ぐためには、本番できっと出るかもしれない本気には頼らない。

やはり日ごろから積み重ね。


小さなライブバーでの対バンも経験していない人がいきなり武道館でワンマンを成功させるって言い出したら、「無謀だなぁ」と思いますよね。

同じく、付き合いの長い友人にすら譲歩してばかりの人が、会社の重役に真っ向から意見するのは多分無理です。



僕を例にするなら、気さくな紳士から「性別は男なの?(男なんでしょ?)」と言われただけで自分のアイデンティティの一端である「性別YUKISHIBA(つまり男女で分けない)」を引っ込めるような人が、

音楽業界の偉そうな人(?)にガクまりの楽団員を「そういう設定なんでしょ?」と言われた時にきちんと言い返せるでしょうか?


まぁ無理なんです。自分で決めた性別すらきちんと主張できない人に、目に見えないけどフィクションでもない楽団員の存在を説明するなんて。




お姉さんコンカフェでの時も、

本当なら「空気を変にしたくない」「失敗したくない」「それなら自分を引っ込めてしまった方が丸く収まる」と判断するところ、

意図して「お前今、自分を曲げようとしたな?じゃあ今敢えて我を通してみろ」と思い直したのです。


結果的にはスマートさに欠ける、下手な返しになってしまったし、相手からの印象は良くなかったかもしれません。

それでも「自分のポリシーを通すことのできる人間」

「失敗の恐れがあっても挑むことのできる人間」

というセルフイメージを一段積み上げることが出来ました。


結局、こういう特にスカッとしない試みの積み重ねが、自分の魂や周りの大切な人をも守るのだと思っています。


自分の魂を脅かすものの全てが悪意をもってやって来るわけではありません。

可能な限り相手の振舞いは善意・悪意をくみ取って判断したいものですが、悪意が無いからと全てを受け入れていては自分がパンクします。


パンクするのは自分一人でも、誰にどう害が及ぶかわかりません。

だから自分をパンクさせないための対策を侮ってはいけないし、それを我儘だとか自己中だと思う必要はありません。少なくともあなたがよほど我の強い人間でない限りは。



自分に何らかのこだわりやポリシーがあるなら、なるべく普段から、ちょっとした場面でも貫き通してみる。

「あ、今自分を曲げようとしてるな」と気付いたら、あえてこだわってみる。

楽な道とわざと逆の方向へ進んでみる。


「我を通す」という行為を、自分の行動の選択肢としていつでも手に取れるところに置いておく。

それがいざという時に自分の意見をきっちり主張するための練習になるし、ひいては自分の魂を認めて、守ってあげることになるはずです。




ここまで読んで頂きありがとうございました。


汝、自由で在れ。



YUKISHIBA

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