【今年の抱負と課題】ガクまりの2026年問題
- maliceberryblog
- 3 日前
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こんばんは、YUKISHIBAです。
皆様、あけましておめでとうございます。
昨年は波乱も奇跡も特別大きかったように思います。
1年の歩みのあちこちで演じたドラマの側にはいつでも皆様の優しさがありました。
今年も同志の期待に応えるべく駆け抜けていきます🐎
1月から予定がモリモリ!!
さて今年の抱負をば、と思い昨年のお正月に立てた目標を見返した時は、あまりの達成率の低さについ無の表情になったものです。
これまで新年の抱負というのは色々風呂敷を広げて夢見がちに(?)やってきましたが、今年は趣向を変えて「真剣に」考えていきます。
今年は「基本に帰る」
昨年までは「変化」や「挑戦」、「領域拡大」がメインテーマで、常に外を向いており、常に新たなタスクを増やすことを考えていました。
勿論この「拡大路線」に至ったのにも経緯があります。
なので、その文脈に立ったうえでここからは基本に立ち戻ってみようと思います。
望もうとも望まざろうとも、外へ出る前の自分と出た後の自分は別物です。
故にただの後退にはなりません。
これまでの経験を尊重しながら、ガクまりが本来持っていた思想、信念そして特徴、本来向かっていた方向などに目を向けていけば、再び前へ進む勢いを増す事が出来るかもしれないし、昨年までに損なわれた信頼を回復させる唯一にして最短の道ではと思い立った次第です。
破壊検査はこれにて終了?
これまでも僕は敢えて予定を詰め詰めにして、自ら死線を創り出してはそれを潜り抜けるという手の込んだ自傷行為を繰り返していました。
設計思想は「人間は壊れてからが本番」。
この奇行にはそのまま「どれだけ予定を詰め込んだら自分は壊れるのか」という自らを検体にした破壊検査でした。
『音楽界の邪神ちゃん』を目指しとにかくスピードと行動力に全振りして企画を打ってイベントに出てということを始めて大体2年目。
端的に言うと昨年ついに僕はパンクしました。
いっそバチコーン!!と勢いよくぶっ壊れて航行不能にでもなればまだ話題になったり心配を誘ったりするものですが、
ミリミリミリ!…ぷしゅ~~~~…
という動画映え的に一番やってはいけないパンクの仕方をしてしまったので救いが無い。
用意するといったものを用意できなかったり、イベント本番でお粗末なセッティングをしてしまったりといった、勝つつもりのない勝負をしてると思われてもおかしくない勝負をしてしまった点が反省点として深く残っています。
実を言うと終盤はもう精神的にすっかりへとへとになっていたし、SNSにも向き合いたくなかったし、人間に関心を向けたり信頼を寄せたりも難しくなっていました。
人を信じることは僕にとって生命線に近いものなので、ピーク時は洒落抜きに死にそうでした。
しかしこれにてようやく過酷だった破壊検査は終了。楽団総指揮としての自分のキャパ上限を大まかに捉えることが出来たのはまぁ大きい。
幸か不幸か比較的人並みにブレーキが働いたので本当に病気になったりはせずに済みました(多分)。
今年からはいたずらに予定を詰め込むのではなく、チャンスを最大限モノにしていくべく一つ一つの質を上げることを第一に、質を上げる速度を早めて挑戦の数を増やすことを第二にする方針でいこうと思います。
SNSの外へ「連れ出す」準備
SNS時代において、「脱SNS」は一層重要なテーマになっていくと考えています。
もっとも、脱SNSといっても完全にいなくなるわけではないし、その必要はありません。
しかし、そろそろSNSというもの自体がもう行くところまで行って、既に限界が見えてきていると感じます。活動者側にとっても、一般ユーザー側にとっても。
あまりに便利になったSNS社会では、自由に擬態した不自由を享受しています。
口を開けて待っているだけで何でも情報が降ってくるように見せて、フォローしてる人の欲しい情報ですら調べないと手に入らない。
自分の居心地がいいようにカスタマイズ出来るようで、情報はしっかり管理・統制されている。
自分が知らなかった世界を知れる代わりに成功者と自分の生活の格差を目の当たりにするおまけつき。
あと、活動者目線で言えば、自己表現をする空間が皆と同じSNSの定型なのと、
ガクまりのように情報量が多く色んな事が並行して動く場合には情報がとっ散らかってかなり不便。
無制限とはいかなくとも自由に色んな情報を載せれて、且つ自分でデザインできる「ホーム」と呼べる空間が、情報発信する側にはやはり必要だと痛感しています。
(ちなみに自分のキャパ保全という意味もある)
ただ、自分が一人でSNSの外へ出ても意味がありません。今いるフォロワー様や同志もそこへ連れて行かなければ、ただただガクまりが忘れられるだけ。
これが仮に時代への逆行だとしても、僕等が提示する価値観としてきっちり遂行していくつもりです。
昨年は叶いませんでしたが、今年はより力を入れていきます。
時代の流れにNOを突きつける事が出来るのは、考える事が出来る人間のみが持つ特権です。
「なんだかな~」という気持ちに蓋をして時代の流れに脳死で従う人は不自由になります。
まずは疑問を持って考える。それから従うか逆らうか決める。それが擬態ではない本物の自由を手にする人のやり方です。
危機感を持つ
気のせいかもわかりませんが、昨年あたりからはよくカネカネ言うようになったという記憶があります←
お金が無いと生きていけないというのが現代の地上のルールなので、「地上で」生きて活動を続ける限り、活動とお金は切っても切り離せません。
ただ一つ言っておきたいのは、生きていくに心配の無い人はいちいちお金の話をしないということ。
元よりいかなる権力にも頼らず音楽をやっている身。老後なんてものはもとより、明日のこともよく見通せない世界を生きています。
それでも、これまでは経済状況や独特な死生観の助けを受けてそれなりに「安心して」生きてきました。
皆様におかれましても、13年一度も止まらずに歩みを続けてきたガクまりならこれからも何だかんだ生き続けてくれるだろうと「安心」して頂けているかもしれません。
辞めないだろうという信頼を裏切る、ないし揺るがすことは極力したくないのですが、今年からは
「下手を打てば音楽を辞める結果になる」
可能性を直視していかなければなりません。
原因は資金かもしれないし、気力かもしれないし、病気かもしれない。
何にせよ今まではお互いに、漠然とこれからも活動は続いていくだろうと信じられていたと思います。
しかし僕の中では今それが大きく揺らいでいます。というより揺らがなかった方が異常なのです。
根拠のない安心に対し、ようやっと疑いを持つことが出来たのです。
僕等のような活動は同志がいなければ成り立ちません。
さらに悪いことに、「いるだけ」でも成り立ちません。
だからお互いのことを思えば不安や義務感を煽ることはやりたくないし、こういう話をするのも不安を煽るためではありません。
今後15年、20年、30年とガクまりを成長・熟成させ続けるためにも、「いかに生き残るか」もっと言えば「どうすれば辞めずに済むか」を考えて実行していかなければならない。
そういう現状と、僕の意志を共有するためにお話ししました。
僕は日本の文化が好きで遠征先の神社にお詣りしたりお正月には初詣に行ったりしますが、お願いすることは決まって「ガクまりの成功」でした。
ですが今年は「ガクまりの生存」を願いたくなったのです。
経営者は会社を大きくすることよりも会社をつぶさないことを真剣に願うそうですが、その気持ちが少しわかったような気がします。
「相反する二人」の共存
当結社では思想上重要な図形を各種デザインの中に織り込むことがありますが、その重要な図形の一つである六芒星には、「相容れない二者の融合」という意味があります。
逆を向いた三角形を重ねることで一つの星を成す。
相容れない二者が衝突を経験しながら共に生きることで、より高次の次元に到る。
これは誰かと手を組むことを単純に意味しません。
人は自分の心の中だけでも様々な矛盾を抱えているからです。
そして、弱さからその矛盾に目を背けたり、常識人らしく片一方の意思を封殺したりしている限り、その先は無い。
だから矛盾する意思達が共存する道を探ることが喫緊の課題になるのです。
稼ぎたい自分とお金の為にやってない自分
先述の通り昨年あたりからはよくカネカネ言うようになりました。
このように音楽をマネタイズしていきたい、もっと言うなら音楽だけで生活できるように収入を増やしていきたいというのが、僕の中にいる「稼ぎたい自分」の意思です。
アーティストがお金を話をしたり意識したりするのを気持ち悪がる人がいますが、それは大きな勘違い。
成功を望むアーティストの中でも、売れてがっぽがっぽ稼いで悠々自適に暮らしたいとか、好きなことだけして楽したいとか思っている人は少数派のはずです。
僕が音楽で「稼ぎたい」と願うのは、人生において音楽に関係のないことに費やす時間や体力・精神力を減らす(=音楽に専念する)ため。
それは客観的に見れば少しも楽な生き方ではありません。
元より僕は魚で例えるなら深海魚。楽な環境があったところで適応できない、過酷な環境でしか生きられない生き物ですから。
せめて過酷な環境で目一杯生き抜くために「稼ぐ」のです。
同じく深海で生きる人たちが自分を諦めなくて良くなるように。
一方、これだけカネカネうるさい僕でも、「じゃあお金にならないことはしないのか?」と言われればそれは違います。
例えばコスプレイベントでのライブステージ。
練習でスタジオを借りる料金や旅費交通費を考えれば、物販でも到底回収できない大赤字です。
お金のことだけ考えるなら出るべきではありません。
でもガクまりの公開会合の後で面識のない一人の方が駆け寄って「ライブ良かったよ!」と言って頂ける。
たったそれだけで消費した気力も体力も全部満充電されて「よし、次もやるか!!」となってしまうのだからちょろい生き物です笑
言うまでもなく当結社の理念(=存在意義)は「お金を稼ぐこと」ではなく、《魂への愛と解放》。
音楽というものを通じて、今を生きる人々の心に眠る声を呼び覚まし、人生に自由をもたらすこと。
僕みたいな人間がちゃんと音楽を作り届けて、且つちゃんと稼いで生きている姿を見せ続けることで、誰かが「こんな人でも生きていけるんだから、自分ももっと自分らしく生きれるはず」と思ってくれるかもしれない。
だからこそガクまりの活動は手の込んだ自殺であってはならないし、金持ちの道楽であってもならないのです。
お金の為。自由の為。どちらも違う意味でありながら自分の嘘偽りのない意思です。
自我としての自分と装置としての自分
嗤わないで聞いて欲しいのですが、
僕には立ちたいステージが沢山あります。全国のZepp、武道館、代々木体育館…
そして、YUKISHIBAの音楽の父たるSound Horizonの作品に参加すること。
これらが僕が音楽を始めた頃から持っていた夢です。
一方、音楽を続けていくにつれ、ガクまりの存在意義やその理念に対する理解が深まってきました。
理解が深まれば深まるほど、楽団総指揮は支配者ではなく装置であるという結論に行き着きました。
リーダーなんていうのは便宜的な表現に過ぎません。そんなに偉くない。ただ世界を観測し、先頭に立ってガクまりにふさわしい音楽を作り歌う、結社を牽引するための装置ですから。
自我はいわば世界を観測するための望遠鏡です。
一昨年から名乗っている楽団型秘密結社MARIONEttEという結社名は、僕等の実態をより言い表している名前として考案したものです。
自由とは何にも縛られないことではない。
魂から望む何かのために全人生を捧げることこそ究極の自由だ。
自由への渇望のまま音楽を作り続けた果てに行き着いたこの考えのもと、自ら進んで結社の操り人形になった。
ガクまりという結社にのみ忠実で、ガクまり以外の何者にも従わない存在。
現状において、ガクまりの意思が自分の意思であり、ガクまり(同志達も含め)の喜びこそ自分の喜び。
だからいつしか僕個人の意思・夢に対してあまり価値を置かなくなっていました。
Zeppだの武道館だのをガクまりが望むとは限らないから。
でも、それはもしかしたら結社が最も禁ずる「自己欺瞞」にあたるのではないかという疑問が湧いてきています。
まだ正解はわかりません。
ただ、自分がどんな背中を同志に見せていくかが肝要です。
自分の我儘にガクまりを利用するのはあってはならないが、自分が本当に望むことがあるなら無視してはならない。
僕がもし意見する立場だったらそういうだろうと思った次第です。
拡大路線に一旦(軽く?)ブレーキをかけ、SNSを始める前の発信スタイルを再発掘しながら初心を取り戻し、新たな解釈のみならず本来持っていた思想や望みも思い出し、両者が共存もしくは融合するポイントを模索する。
ここまで含めて、今年からは「基本に帰る」ことが最重要課題であり、長期的な目標になります。
結局新しいこともやるんですが、新しいことばかりが挑戦ではないし、領域を拡大することばかりが成長でもないはずです。
今までの経験を活かしつつ、より密度と質の高い活動を目指します。
恐らくまだ話せていない2026年問題があるかもしれませんが、もしあれば追記していきます。
それでは皆さん、本年もMARIONEttEをどうぞよろしくお願いします🌹🍷
汝、自由で在れ。
YUKISHIBA




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