top of page

【なるべく平和に】悪魔に魂を半分売れ

世の中の人間は大きく二手に分かれます。

素直な人と、頑固な人。



テオフィルスと悪魔

こんばんは、YUKISHIBAです。


「悪魔に魂を売る」というものものしいタイトルにしてしまいましたが、宗教も魔術も関係ない「何かで成功を収めたいならこうすべし」という文脈でよく言われる方法みたいなものになります。

今回はそういう重要な岐路に立たされた時、或いは伸び悩んで道を踏み外しかねない時に思い出して欲しい話です。



本題に入る前に


本題に入るにあたり、早速ですが最初の2行は嘘です。



何かで伸び悩んでいる人って、頑固で現状を変えられないから二の足を踏んでいるというイメージが強いのではないでしょうか。

クリエイターなんか特にそうかもしれませんね。「自分のやりたいこと」に固執して頭が固く度胸も無い、みたいに。


ただ、僕が見る限り寧ろ逆。

大抵の人は案外他人からの批評やアドバイスを受け入れています。

「この人の言う通りなんだよな/一理あるんだよな」と感じれるだけの容量はあるし、現状を変えなきゃいけないということも頭ではわかっている。


本当に頑固なら最初から人の意見を受け入れすらしないですから。


でも素直なだけじゃない。頭でわかっていても、不合理だと理解していても、譲れないものは譲れない、という強いこだわりも持っている。



そういう素直さと頑固さの両方を抱え込んでいる人に向けて、似たような立場から「なるべく安全な悪魔との渡り合い方」について考えてみました。




あとここでは「悪魔」「魂」という抽象的な表現のまま話していきます。

「悪魔」はどんな形で現れるかわかりません。人の姿のこともあれば、数字やツール、イベントの姿をしていることもある。

「魂」も読んで字のごとくではなく、個々人の核を成すような重要なもの。当然人によって違います。


大事なのはその時が来たときに今がその時だと気付いて判断できること。





【悪魔との契約】代償は高くつく


成功する(特にここでは「売れる」ことを指します)方法として言われるのが

「まずは悪魔に魂を半分売れ。そして成功してから打った魂を買い戻せ」

というもの。


最初のうちはまずファンを増やすことを第一とした「売れ線」や「大衆受け」を意識し、それで充分な支持を集めてから本来やりたかったことをやる、という意味。



マーケティングに携わる・その分野の知識がある人のほとんどはこれを支持するでしょう。



しかしこの方法、場合によってかなり高い代償が伴うと考えています。




Wikiにも書いてあるので恐れながら例に挙げますが、ヴィジュアル系バンドの雄・the GazettE(ガゼット)。

僕も好きなバンドですが、初期と今とでかなり作風が違います。


初期の頃は『大日本異端芸者ガゼット』と名乗っており、歌詞も歌い方も音作りもよりコテコテした「ザ・古き良きネオV」という感じでした。

結成当初伸び悩んでいた彼等は(恐らくは事務所の意向で)「大日本異端芸者」として活動し始めた頃からメジャーな雑誌での露出も増え知名度が一気に上がり、1000人規模のワンマンなども成功するようになりました。


そして名前をthe GazettEに戻し、武道館や代々木体育館などの巨大な会場でのライブも成功させ、V系を代表するバンドの一組に。



と、これだけなら良いのですが、どうやら彼等「早く「大日本異端芸者」を捨てたかった」と話していたそうで。

彼等にとってそのキャッチフレーズは悪魔に魂を半分売った証なのだと思います。


結果的に売れて2年そこらで「大日本異端芸者」を脱ぎ捨ててその後更に大きく売れたので成功例といえばそうかもしれません。



が、僕が思ったのは「"大日本異端芸者ガゼット"を好きになって応援していた古参ファンの気持ちはどうなるんだろう」でした。



売れた後のバンドを推すのと、売れる前のバンドを推すのは質が違います。

売れる前のバンドは、いうなれば「草コイン」みたいなもの。聞いたことも無い生まれたての企業の株みたいなもの。

既に成功したアーティストと違い、グッズもライブチケットも安く距離が近くサービスが充実していることがありますが、解散などにより投資したお金や時間が丸ごと溶けるリスクが非常に高いのです。


ファンの気持ちはそれぞれですが、そういう「人生の一部が紙切れになる」リスクを冒して応援してくれているのです。

売れてから乗っかる人とは面構えが違います。


僕は最近のthe GazettEを知って好きになった(再燃した)ので後者。「大日本異端芸者ガゼット」を応援してきたバンギャたちは前者です。


それ故に「大日本異端芸者を捨てたかった」という発言を知った時に当時のファンたちを勝手に気の毒に思ったものです。



念押ししますがこの点でガゼットを批判する意図も理由もありません。


しかし、音楽の世界における「悪魔に魂を半分売り、後で買い戻す」は、多数の新規ファンを手に入れるために少数の、より大きなリスクを冒して支えてくれた古参ファンを踏み台にするということ。


それこそ、特別美人ではないけど売れない時代の貧乏生活を支えてくれた彼女を、売れた途端捨てる芸人みたいに。



僕なんかは一回本当に好きになったアーティストならどんな音楽性に振れても付いていくというタイプですが、そういう人ばかりでないのは言うまでもないし、ファンなら音楽性が変わっても追い続けるべきと言ってしまうのは酷ですよね。


ファンや関係者に対して「筋を通す」ことがとにかく重要視されるこの世界で、それは少なくないリスクが伴うやり方に思います。


この手法を支持するマーケターは、果たしてこういう視点まで持って言っているのでしょうか?


数字ですべての正解・不正解を断じていいならこのやり方は正解です。

けど、そこに一瞬でも疑問を持てないなら芸術家ではないと思います。



もっとも、結果的により多くの人に音楽が伝わっているのだから否定することも出来ません。

僕自身も暫く離れてからフェスで久しぶりにガゼットを見て「いつの間にそんな男前になったん!!」と再燃した身だから尚更。



だから自分が到りたい場所がどこか、目的・価値観をどこに置くか次第。

そして実践するにしても魂を半分売った姿と本来の姿がどれだけ違うか次第。


何にせよ安易に真似して良いやり方ではない、まさに悪魔の契約といえるでしょう。




半分売ったらもう半分は守り抜け


「悪魔に魂を半分売れ。成功してから売った分を買い戻せ。」


このやり方を説明する時、「第一に切り売りすること(=嫌なことを引き受ける、大衆受けを狙う)」「買い戻す(=本来やりたかったことをやる)のは成功してから」と、大抵は「手放す」ことにフォーカスされます。


しかし「いかに手放すか」に意識が向いている時ほど、実は「いかに手放さないか」に注意しなければなりません。

魂を半分悪魔に売り渡す時、真に注意しなければならないのは「何があってももう半分を売らないこと」なのです。




何故こんな念押しをするかというと、これだけのことがそう簡単ではないから。



人間には「サンクコストバイアス(埋没費用効果)」というものがあります。

それから「なし崩し的」とか「前例主義」という言葉もあります。


既に半分魂を売ってしまっている以上は無駄に終わらせたくない。

自分を曲げれば曲げる程、それが無意味になることに耐えられない。

だから結果への焦りも強くなります。


その結果、あともう一押し魂を売れば上手くいくかもという負け越しているギャンブラーと同じ心理に陥る。

もしくは半分売ったんだから追加で残りの半分だって売れなくはない、寧ろ売ったって同じなんじゃないか、となし崩し的に魂を売り渡してしまう。


冷静な判断力を奪ってしまうほど、それこそ扱いを間違えれば人格さえ歪めてしまう程個々人にとって大切なものだから”魂”なのです。



然るべき時に魂を半分売る決断が出来る素直さと、売らないと決めたものは絶対に売らないという頑固さの両方を持っていることが、この手法をとるための最低要件です。




悪魔も色々いるし大抵巧妙に騙してくる



悪魔と呼ばれるだけあって彼らは強力ですが、同時に強欲でとても巧妙です。

力はくれるけど僕等の味方ではありません。

しかもその「力をくれる」という部分すら確約はありません。


まして魂だって半分で満足してやる気などありません。

上手いこと惑わして最終的には総取りしてやろうという魂胆だし、それによって僕等の人生が破綻しようがどうなろうが彼等の知ったことではありません。


人間の倫理観なんか通用しません。悪魔たちからすれば僕等なんて掃いて捨てる程いるカモの一人でしかないのですから。



味方のような顔をして近づき、歪な形で夢をかなえ、最後には自分の欲しいものを総取りして立ち去る。

その為の交渉や契約の巧妙さでは、悪魔は僕等より何枚も上手。



しかし、独力でやって伸び悩んでいる僕等にとって悪魔の持つ力があまりに魅力的なのも事実。

だから彼らを退けるばかりではなく、上手く渡り合う必要があるのです。




まず悪魔たちにも色々いる。


どういう分野に明るくて、どういうパイプを持っているのか、それによってどんな恩恵を受けやすいのかは悪魔によってそれぞれ。

場合によって頼るべき悪魔も変わってしかるべきです。



しかしながら悪魔は大抵巧妙な罠を仕掛けて騙しに来る。


後で買い戻す契約を反故にしたり、重要な部分の説明がめちゃくちゃわかりづらかったり、していない約束事を捏造してきたりもする。

狡猾な相手を利用するつもりなら、自衛のために自分もまた狡猾な目を持たねばなりません。ここに性格適性の差が大きく出ます。



やってみないことには…な点もありますが、少なくとも一般ツイッタラーやフェイクニュースにすら騙されるようなお人よしには、悪魔の罠に気付くのはまず無理でしょう。契約書のような長文が読めない、国語力が無い人は問題外です。

悪魔を頼るのはそのあたりを鍛えてからにしてください。




自分の聖域は何処か?


悪魔との渡り合い方以前に、自分の魂をきちんと捉えられていないと話になりません。売り物のことを知らないまま売るわけにいかないですよね。


それをするためにはそもそも魂の売って良い部分とダメな部分の見分けがつかないといけません



頑固な人は「売ってダメな部分」が広過ぎる。

あれも変えちゃダメ、これも変えちゃダメと自分で自分を雁字搦めにしている。


でもそこを我慢して無理やり切り売りするのではただ苦しい思いをするだけで意味がありません。


そうではなく、動かせない部分が大きすぎることに疑問を持つことから始めるのです。



当結社も創立からの13余年、色々な変化を遂げてきました。

僕等は「世界観が確立されている」という言葉を色んな方から頂いてきましたが、その裏返し的に柔軟だったり進歩的だったりはしないというか、新しい手法を取り入れるとかいうような文脈では保守的なイメージを持たれやすいです。


しかし実は肉付けしたり削ぎ落したり、固めてみたり突き崩してみたりと色々やってきています。

この辺は初期から追ってくれている方には伝わりやすいかもしれません。



最初期はそれこそ世界観やイメージをしっかり伝えて行かねばならないと、隙が無いように動いていました。

僕等にとっての「魂」は「世界観」であり、楽曲は勿論見た目や発言、露出する空間やPRの仕方など全てが「世界観」の範囲に含まれていたのです。

言ってしまえば自分で自分に厳しい言論統制を敷いていたようなもの。


これは外から見えるものの全てが世界観の表現手段であり、世界観を守るためにはそれらすべてを用いて強固な城壁を成す必要があると考えていたからです。



が、その時期をある程度過ぎると「このぐらいで僕等の世界観は壊れないんじゃないか?」と思い始めたのです。

本記事の趣旨にのっとって言うとまさに「自分の聖域って本当にこんなに広いのか?」という疑問に思い至った瞬間です。


そこで僕が取った行動が、少しずつフランクな発言や姿勢を取り入れるというものでした。


『歌ってみたコレクション』を通して歌い手やボカロPといった「活動者」と括られる皆さんに触れたのをきっかけに、彼らを参考にもしながら面白いこと、人間らしい面を出すようにしていきました。


出すように、というよりは出してみたくなったといった方が気持ち的には近いです。



やってみると僕個人の肌には合っていたし、活動者とコミュニケーションも取りやすくて楽しかった。


ですが今度は「フランクにすることがそんなに正解か?」と思い至り、今度は「人間味があって親近感がある方が音楽に触れてもらいやすい」というまことしやかに囁かれる常識を疑い始めたのです。


なので今度はバランスを取り始めました。自分がしたいからといってフランクさを追い求めるのではなく、獲得したフランクさに「本来の自分はどうだったか?」を取り入れていくイメージで。


V系バンドが一度すっぴんで勝負して別ジャンルに挑み、そこから戻って来てもう一度メイクを始めたような感じに近いでしょうか。

「原点回帰」とは似て非なるもので、一度敢えて手放すという過程を経てしか至らなかった姿に「回帰」するのです。



今のガクまり、ことユキシバについては、オリジナル・カバー・アニメのイメージソングと様々やっているし、作風だって『Count the 4』のような苛烈なメタルから『New Horizon Anthem』のように爽やかで優しいもの、『邪神ちゃんドロップキックの歌』のようなポップロックまで幅広い。


真面目でややこしいことを言ったかと思えば推し活で狂ったりこういうふざけたツイートもしたりする。



文面でもリアルでも、面白いことを言う時は半分滑る覚悟で言ってます。



それでもなお「世界観が確立されている」と思って貰えているのは、聖域だけは厳格に守っていて、しかも現在進行形で防備を固めているから。



ガクまりにおける聖域は「世界観」そのものと、それをそのまま形にした「楽曲」、およびそれらを作るプロセス。一言でいえば「性質」です。


PRの仕方や発言のスタイルはころころ変えても、ガクまり楽曲の在り方は最初期からずっと変わっていません。

キャッチフレーズは"サイコキラー二次元バンド"に始まり何度も変えたり増やしたりしてきましたが、僕等の根底に流れる"本当の自由を皆で手に入れる"という意志・信念は一度も変わっていません。



何より、これらは「単に僕がやりたいこと」ではなく「信仰する神から賜った使命」なので、この聖域への防護はかなり強固です。



僕にとってはそれまでのお堅い(?)言動を柔らかくすることや楽曲や結社の説明のしかたを改めることが、悪魔に魂を売る方法でした。

半分も売ってないと思いますが、それでも劇薬に近いものだったと思ってます。


そのおかげで成功したかと言われれば不明ですが、「広く脆い聖域」から「狭く堅い聖域」になったことで、剛柔併せ持つ身軽な活動スタイルを手にすることが出来たのはかなり大きな成果です。




いかがでしょうか。

悪魔も色々なら、魂の売り方も色々。僕の例からもわかる通り想像するほど危険ばっかりではなく、至って平和な取引も可能です。


平和に魂を売るってなんか変ですね。ですが、

「悪魔に魂を売る」という行為の本質は、身売りをすることでもなく、犠牲にするのでもなく、今までの経験で積み重ねてきた常識を疑うこと。


常識の中に抜け穴(実態と違う点、勘違いしていた点)を見つけて突き崩す事が出来れば、自分の聖域は思っていた以上に小さいことに気付けるでしょう。


そうなれば聖域を守るのは今までより格段に楽になるし、柔軟に動かせる範囲が広がることで自分らしさという概念そのものを拡張出来るようになります。



だから、悪魔に魂を売るというのは単に高潔さを捨てるようなネガティブな行為ではありません。

自分のやりたいことややるべきこと、何を貫くべきで何を手放して良いのかを明確化する過程であり、より速く遠くへ向かって走るための「ダイエット」でもあるのです。



逆にこの認識がないまま悪魔と契約すれば、自分もファンも後悔する結果になりかねません。


より強い痛みを伴う決断がより正しいとは限りません。

もし本当に悪魔と契約するなら、先に自分自身に向き合いしっかり準備したうえで、バランスよく無理なく契約しましょう。





汝、自由で在れ。


YUKISHIBA

コメント


bottom of page