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「円盤文化」は無くなるのか?

何を今更、みたいに思った人も読んでいってください。



こんばんは、YUKISHIBAです。


当結社がお世話になっているクリエイター仲間も不安に思っているようなので、僕も改めてになりますが「円盤文化」の今後について一本書いてみようと思います。





このテーマに関しては、本当にたまたま非常にタイムリーな動画を見つけたのでそちらも参考にしました。


↓この時代にCDいる?プロと議論してみた↓




「CDの方が儲かるから言ってる」は誤解


「ミュージシャンはCDの方が儲かるからCDが必要だとか言うんでしょ???」というのはCD不要論者がよく言う意見の一つだし、実際僕もそれ自体は正しいと思っていました。


しかしそれは大きな勘違いだったようです。



世の中に出回っていて僕等が日常で商品の値段には色んなコストや「売り手の頑張り」が乗っかっています。

原材料は勿論として手間賃や宣伝費のほか、運送費や人件費も。


なので規模が大きくなればなるほど関わる人間も多くなるし、

広告を打ちまくったり店舗をお洒落にすれば広告費も大きくなるし、

全国の実店舗に並べようとすれば関わる運送業者や燃料も増えるので、

それらも商品の値段として回収することになります。


しかし、だからといって制限なく値段を釣り上げれば結局誰も買わなく(買えなく)なってしまいますよね。

なので関わる人間一人当たりの取り分を小さくすることで僕等が手に取りやすい価格を維持してくれているのです。

もっとも全員取り分が均等なんてことはないのですが、まぁ企業努力というやつですね。



何が言いたいかというと、CDの販売に関わっている人達は大して儲けているわけではないということ。

特にアーティスト。

CDの売上に対するアーティスト本人たちの取り分は、契約にもよりますが動画内では1%とも言われていました。アルバム1枚3000円としても1枚で30円。それをメンバーで分けるとすると…ガクまりは楽団員が僕のほかに13人いるので一人あたり……


こうなると今度は「事務所やレーベルがかすめ取ってる」「アーティストから搾取してる奴がいる」という話になるんですが、恐らくそうではありません。

書籍と同じで構造的な問題があるのです。


具体的にはコストがかかりすぎる売り方をしているのに商品が安すぎる。若しくは要らないコストがかかりすぎる、誰も得をしない構造になっている。



もしかしたらレーベルや事務所が「やりがい搾取」をしている例もあるかもしれないし、これから実例が暴かれて大スキャンダルになるかもしれませんが、結局は事務所やレーベルも膨大なコストやリスクを負担する立場ではあるはずなので、素人が考える程単純ではないもののアーティストを守りたいファンが邪推する程汚い事実はないのではと思います。



ミュージシャンという肩書を間借りしている身でありながら「CDの方が儲かる」なんていう誤解をしていたのは、ガクまりが完全に独立した組織だから


作品を販売(頒布)する手段はM3やおでかけライブ、会合などのリアルイベント。若しくはメルカリショップ/BOOTHでの通販。

その都度出展費や旅費交通費などかかっているものの、通販サイトや一部会場に納める手数料を除けば売上は総取りです。


サブスク配信していたのはもう数年前になりますが、そういうこともあってサブスクより物体の方が儲かるという認識でした。


でもそれは同人・個人にだけ当てはまることで、メジャーアーティストにもなれば色んな立場の人に取り分を取られるので、CDに特別旨味があるとは限らない。



結論、CDは必要だと訴えているメジャーアーティストは自分の儲けを守るため以上に、円盤文化を残したいという純粋な意思から訴えているといえます。




データはなくなる


僕等は楽曲をYouTubeやニコニコに上げていますが、もうね、ボタン一つでポンと公開出来ます。

ブログ記事だって本みたいに印刷・製本なんかせずともポンと公開できます。

その代わりに「あ、伸びないな」と思ったらボタン一つでポンと非公開にできます(※原則やりません)


データというのは公開するのも手軽ですが消すのも手軽です。



あなたがサブスクで便利に聴いている音楽だってそうです。

突然無くなります。伸びていようがいまいが関係ありません。


理由は様々。契約期限切れ、メンバーの不祥事、(期待したほど再生されないなど)事務所やアーティストの意向、作品自体の炎上、あと場合によっては国際情勢や政治的な力が原因になることもあり得そうです。(例えばロシアによるウクライナ侵攻を理由に市場からロシア人作家の音楽を締め出すなど)


作品の配信を止めるのにいちいち前もって告知なんかしません。

本当に突然消えます。



もし自分がサブスクでたまたま見つけて大好きになって何回も聴いていたあの曲が突然あらゆるサブスク市場から消されたら…


こんな時にもしCDがあれば「この世界のどこかにはまだある」ので、リサイクルショップなどを当たって中古ででも手に入れればまた聴くことが出来ます。


でもCDが無かったら?

サブスク市場から消えた時点でその曲は「永遠に失われる」のです。



ここまでお話して気付いたでしょうか。


「CDは必要か?」という議論は「実際CDで聴く人どんくらいいるの?」という視点、言い換えれば「自分はCDを聴くか聴かないか」という近視眼的な視点で是非を考えがちです。

ですが、本当に目を向けなきゃいけないのは「CDがこの世から無くなったらどうなるか」なのです。


音楽の保存方法としてCDという選択肢が無くなったら、サブスクプラットフォームから曲が消された瞬間がその曲の実質的な死を意味します。

一方CDがあれば、その曲が死ぬ瞬間は、その曲が収録されたCDが一枚残らずこの世から消えた瞬間となります。


違法アップロード上等!な人間には関係のない話かもしれませんが、

CDの存在意義は「合法的にこの世界に音楽を残し続ける」点にあるのです。



便利なサービスや手段が生まれると、「もうそれだけあれば良くない?」という流れにどうしても持っていきたい層がいると感じますが、利便性は何かとトレードオフの関係にある点は意識から抜けがち。


オンライン化なんてその最たる例。

Google Driveだってたくさんデータを保存するためには課金しないといけないですよね?

データには形がありませんがデータの置き場を管理するシステムには形があります。

オンライン上のデータ置き場だってタダじゃないんです。


「場所代」を払い続けなければならないプラットフォームの管理者からしても、

「家賃」を払い続けなければならないクリエイター側からしても、

収益の上がらないコンテンツはなるべく抱えたくないのです。

「この曲好きなのに~!」なんていうあなたの声にいちいち耳を傾けたりはしてくれません。



今回はCD・円盤文化をテーマにしていますが、「○○なんか実際使ってる人いるの?」と軽んじられているものについて「○○が無くなったら世界はどうなるのか」という仮定を置いて推論や想像を膨らませることで今まで見落としていた必要性に気付かされる例は他にもありそうですね。



さて、ここまでは参考にした動画の内容を元にお話してきましたが、ここからはいち作り手として僕自身がこのテーマについて心に留めておいて欲しいことをお話しします。




音楽を聴く前から音楽体験は始まっている


同じ高級なダイヤモンドの指輪でも、お洒落なお店で買って綺麗な箱に入っているのと、質素な屋台で買って紙袋に入っているのとでは指輪に対して受ける印象は全然違いますよね。


美しい湖だって、鬱蒼とした森を抜けた先で目にするのとどこでもドアを開けたら目の前に広がっているのとでは見え方が違いますよね。



音楽だってそれと同じで、曲自体は全く同じでも、聴く手段が違えば作品としては別物なのです。

寧ろCDが失われること以上にこれらを別物と捉えることのできる感性が失われること対して不安を感じているかもしれません。


「音楽なんて聴ければ(どんな媒体でも)同じでしょ?(だから便利な方が良いに決まってるじゃん)」

というのは、

「腹が膨れて味がすれば同じでしょ?」というのに近くて、些か感性が痩せているように感じます。



何がそんなに違うのかというと「音楽体験」。

「体験」というものには目的地や対象物だけでなく、そこへ到るまでのアプローチまで含まれるのです。



サブスクは「手軽/カジュアル/日常」

作業中や移動中にポケットから端末を取り出し、欲しいものをサッと呼び出してインスタントに(スマートにともいう)楽しむ。


もしくは「欲しいものを探す」という手間を省いて、サブスク側に選曲してもらったものを流す。

すると偶然良い曲に出逢う。自分からは探さないようなジャンルだけど聴いてみたら面白いな、という新しい発見をする。


スマホで完結して便利な反面、良くも悪くも音楽はカジュアルな存在になります。

代わりに音楽を日常生活に溶かし込むのに長けていて、より広く音楽を楽しむきっかけをくれます。



一方CDは「特別/非日常」

まず注文してから届くまでのワクワク、作品が収められた箱を受け取った時の胸の高鳴り、時の店頭で見つけた時の喜び。

箱を開け、包装を剥がし、プレイヤーにCDをセットして再生するまでの間、人はそのCDの世界を体験する準備だけをしています。起きている間常にマルチな刺激とタスクに晒されている僕等にとっては、一つのことだけに意識を向けている時間自体がちょっとした非日常なのです。


そうして心をその音楽に集中させるアプローチを経たうえで愉しめるのがCDの特長。



準備が必要になる分、良くも悪くも音楽は特別な存在になります。

代わりに、音楽がその枠を超えて描く世界にどっぷり浸るのに適していて、より深く音楽を楽しむ時間を作ってくれます。



音楽を日常の添え物として聴くサブスク、

日々の中に「音楽を聴く時間」を生み出すCD。


という風に今のところ位置付けていますが、上にあげた動画でも語られていた通りお洒落なCDプレイヤーが登場するなどしてCDのイメージ自体が変われば、CDが日常の添え物としての役割の一部も担うようになるポテンシャルは十分あると考えています。



とにかく、「音楽体験」という点から語れば、どちらの方が優れているか、どちらが社会に必要・不要かという話にはならないのです。






「時代に合わせる」だけじゃダメ


ふと、時代や流行の流れってライブの「アンコール」に似てるな?と思いました。


最初はゆっくりめのテンポから始まるのに、徐々に何処からともなくテンポアップしていく。

最初のペースを守ろうとする勢力もあるけど結局は何となく合わせてしまう。

そうして行くとこまで行ったら半分の速度になる。


恐らく誰かがコントロールしているわけでもない。



「時代」というのもこんな風に、誰が進めているのかわからないけど何となく進んでいて、でもあるポイントで過去のものがリバイバルする。


みんな時代(=変化)に「ついていく」ことばかりに必死。でも時代って常に前に進んでいるわけではなく、前に進みながらも時々後ろに戻っているんです。


スマホで幾らでも高精細な写真を撮れる時代にチェキやインスタントカメラが注目されたり、サブスクが浸透してCDの再生環境すら無くなってきている時代にカセットテープやレコードをリリースするアーティストが新たに出てきたりしていますよね。


YUKISHIBA音楽に多大な影響を与えているアーティストの一人であるMarilyn Mansonも新作は通常版のCDと別にレコード5枚組の超豪華BOX仕様のものが出るらしいですね。

欲しい~~~プレイヤー無いけど欲しい~~~~~~~!!!!




でも考えてください。


何故インスタントカメラやレコードがリバイバルできたか。



それは大衆の心の琴線に触れたからだけではありません。

インスタントカメラやレコードを守り抜いてきた人がいるからです。


後世の人間が幾ら憧れ、今の時代にこれがあったらなぁ~と思っても、一度ロストテクノロジーになってしまったものはリバイバルのしようがありません。


チェキもインスタントカメラもカセットテープもレコードも、時代が望んだからだけでなく、時代に見捨てられている間もそれらの製造技術を絶やさなかった「名の残らない仕事人達」がいたお陰でリバイバル出来たのです。



便利だから、コスパが良いから、儲けが大きいからみたいな一面的な尺度で安易に古い技術・文化を淘汰してしまえば、今僕等が「レトロ可愛い」とか言って親しんでいるこれらも永遠に失われていたかもしれないし、未来を生きる人達が本来選べたはずの選択肢、享受出来ていたはずの楽しみを奪ってしまうかもしれません。



これは将来の若者の発見や楽しみの選択肢が狭まるという点、そして「価値=新しさ」を追求しなきゃいけない生活に息切れを起こした人の逃げ場を失うという点において、決して小さくない文化的損失。


自覚があろうとあるまいと、CDを良いと思っている一人ひとりが円盤文化の担い手。

文化を守れるのはその文化の担い手です。僕等がCDを見捨てたら本当に世界から永遠に失われてしまいます。




形のある音楽


世間的に見れば僕は時代に抵抗している・逆行している。

世間のニーズに合わせていない。合理的じゃない。


しかし、時代がどうだという前に自分が心から良いと思ったものは守る

そのためのアクションをし続ける。


そんなにおかしいことでしょうか?



まぁ、こういう発想を商売にも持ち込む僕は厳密に「価値を提供」していなくて、「価値を提案」しているのだと思います。

尤も、価値の提供者と提案者では出来ることが違う。両方いないとバランスが取れない。

CDとサブスクのように優劣や必要・不要でジャッジ出来ない存在です。




僕はサンホラで義務教育を修了した影響でディスクやジャケット、ブックレットもすべて含めて広く表現の手段と捉えているからこそ「形のある音楽」にこだわっていますが、

ガクまりのように表現に拘り抜くのでなければ形に残す意味が無いとまで言う気はないし、そうまで言ってしまうのはそれまたおかしな話なのです。


それは「データを合法的に保存する手段の選択肢としてのCD」や「音楽体験の違い」という点から話してきたことからもわかるかと思います。



もしCDが、「形のある音楽」が好きなら、これからも作り続けましょう。買いましょう。

時代が見捨てても、自分は見捨てない。


自分が好きなものが世界から消えるのを世間や時代のせいにして自分は何もしない、なんていうのは冷たい。寂しい。

ごく小さな抵抗しか出来なくても、自分が行動さえすれば「私はこれが好きだから残って欲しい」という気持ちだけは守れる。



そういう意味で、もっと難しいことを考えず素直に動くことで自分も世界も色彩豊かになるんじゃないかと思うし、自分はそうありたい。





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ガクまりの音楽、そして世界観があなたの生きる道を鮮やかにしますように。





汝、自由で在れ。



YUKISHIBA

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