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maliceberryblog

【作曲AI】脅威になり得るのはAIではなく○○



こんばんは、YUKISHIBAです。


作曲AIというものをご存じでしょうか。

古くは70年代にはバッハの楽曲にそっくりの曲を作れるAIがもう開発されていて、批評家の約半分を騙すことに成功したそう。

今よりおよそ50年も以前から、作曲AIは作曲家にとって脅威でした。


最近話題に上がっているところの作曲AIはさらに進化しているようで、

ジャンルを打ち込んだだけで作曲から作詞まで瞬時に出来るまでになりました。



黙っていないのが音楽関係者。

「AI絵師」なるものが湧いた時に色々な問題を見てきているのだから、敵視したくなるのも当然です。

イラストAI同様、様々な意見が交わされています。



今回は僕にとっても他人事ではない作曲AIについて自分なりに考えていきます。

途中から芸術論っぽくなっていってますが、作曲AIの存在とは切り離せないと思うので併せてお話しします。


心を揺さぶる曲は作れない。しかし


従来ミュージシャンとは非常に狭き門で、その狭き門に挑める者すら限定されるまさに荊の道でした。


音楽を全国の人に届ける手段はテレビかせいぜいラジオに出演することぐらいで、特にテレビに出るためには事務所の影響力が不可欠でした。


言い換えれば、音楽で売れるという夢を見られるのは「コネを得た人達」だけでした。



それが技術の発展と共に「売れる」という形そのものが多様化し、創作活動は「皆にとっての夢」に変わったのです。


SNS・・・有名でなくても、テレビに出られるコネがなくても全世界に音楽を届けられるようになった

DTMの発達・・・演奏技術がなくても、技術のあるバンドメンバーを集められる対人スキルやコネがなくてもよくなった

ボカロの発達・・・歌唱力がなくても/歌唱力のある歌手との繋がりがなくてもよくなった


作曲AIの登場によって、今度は「詞も曲も書けなくても楽曲を作れる時代」が来るのでしょうか?



既に他の方が検証&発言していますが、AIは「今のところは」出来ないことが多く、作曲家に取って代わるレベルにはいないそうです。

膨大なヒットチャートのデータ集積だけでは、人の心を揺さぶる楽曲を作るのは難しいということでしょう。



但しこの「出来ないことが多い」というのはあくまでも作り手目線で感じることであって、僕が聴いた限り素人目には非常にプロっぽく優秀に映るはずです。


今のプロがやっている仕事の内容・質全てをクリアできなくても問題ではありません。

何故ならプロと素人のリスナーでは音楽に対する解像度も、音楽に対するモチベーションも重視する点も違うことがあるから。


音楽制作のプロから見てお粗末な仕事でも、リスナーが満足しさえすればそれがリスナーにとってある種正解になってしまうのです。


そのうえで今出来ないことを今後AIがどんどん克服したら、完全に人間が淘汰されることはなくとも、淘汰される作曲家は出てくるかもしれません。




ただこういうと、「要は実力のない者が消えるだけでしょ?実力のない奴が騒いでるだけ」と思われるかもしれませんが、ことはそんなに些細ではありません。



「AIが破壊する」もの


音楽は商品である以前に芸術作品でもあります。

商品としてのスペックと「芸術性」、その両方で価値が発生する存在です。


~音楽におけるスペック~

演奏技術や歌唱力(声量、コントロール力etc.)、外見や年齢、性別、そして話題性(=話ネタとしての優秀さ)


~音楽における「芸術性」~

曲のテーマ、活動のコンセプト、メンバー各々の生い立ちや人柄、曲が生まれた背景、それらに裏打ちされるように演奏や歌に乗る感情



芸術作品の価値はその出来栄えだけでなく、いつどうやって生まれたかに大きく依存するのです。

僕がよく飲んでいるワインもまた、元々の味以外にも生産国やワイナリーが持つ歴史、作り手の想いなども同時に味わっています。


僕の所感の話をすると、近年ますます音楽をスペックで評価する傾向が強まっています。


カラオケの点数やキーの正確さを競う番組なんかすっかり世間に浸透しましたよね。

いち音楽家の端くれとしての本音として聞いて欲しいのですが、

歌の良し悪しをキー・テンポの正確さと小技の多寡で評価するのは、僕から言わせれば女性を顔と体型で判断する男みたいなものです。


スペックが重要でないとは思いません。しかし芸術性を軽んじた音楽の存在価値とはいかほどなのでしょうか。



「芸術」という言葉を使うから敷居が高く感じるのかもしれませんが、実際の「芸術」とは究極的に平等です。


知識があればある程自分で味わえる味の幅が広がるのは確かですが、「知識が無ければ楽しめない」と言ったら明らかに言い過ぎです。


それに知識だって別に専門的な勉強ばかりではありません。

例えばバンドのコンセプトやメンバーの生い立ち・人柄なんて、WikipediaやSNSにゴロゴロ転がってますよね。


とにかく、自ら歩み寄りさえすれば老若男女誰にでも開かれる世界なのです。

そしてひとたびその扉を開けば、外側からは殆ど感じられなかったような深くて濃い精神体験が待っている。


逆に言えば「芸術がわからない人」というのは厳密には存在しない。

いるとすれば「芸術に対して受け身になっている人」、「そもそも芸術に興味がない人」ということになります。




先程スペックの例として挙げたものの共通点は、聴き手が非常に短時間で判断できることです。

これらがますます重視されているということは、聴き手が音楽をじっくり味わうだけの余裕がないこと、もっと言えば生活の忙しさや音楽の供給量、日常で触れる情報量が人々の限界を超えていることの表れでもあります。


スペック偏重で作った楽曲はこういう需要にマッチしているため、短期間で伸びやすいです。

しかし往々にして、すぐに評価できる価値はすぐに飽きられます。

(高額を払って手に入れたものは大事にするけど100円で買ったものは雑に扱うというのと同じです。)


すぐ飽きられるのですぐに次を作らなければいけません。


作り手側は資金も時間もどんどんジリ貧になっていきます。じっくり内容を凝縮するタイプの作家は次第に脱落していくかもしれません。



代わりに聴き手に頭を使わせない曲を大量生産するのが当たり前になり、そういう土壌から「何十年も色あせない曲」は限りなく生まれにくくなる…


こういう流れの一場面が「作曲AIの台頭」なのだとしたら?



作曲AIについては、作曲AIの登場によって仕事が奪われる、音楽の権利が侵されるといった意見があります。

しかし「AIが」仕事を奪う/音楽業界を破壊するというのは少し違います。



音楽家の仕事を奪い、業界を破壊するのはほかでもない人間です。



反AI的な観点に立てば、AIが今後加速度的に優秀になり一般に浸透していくことを見越して、性悪説の基づいた法規制は必須ではあるでしょう。


開発者はあくまでも個人で楽しむ、もしくは作曲家がアシスタント代わりに使うようにと思っていたかもしれないし、そういう風に使う分には誰も文句を言いません。


そうなっていないからこれだけ問題視されているのです。


他人の絵柄で絵を量産し、イラストレーターを「養分」呼ばわりするような未開人を何人と見てきた人なら、作曲AIを警戒しない方がおかしいというもの。



しかしAIを雁字搦めにすれば危機は去るかというとそんなことはありません。

真に向き合わなければいけないのはリスナーのメンタリティや、彼らを取り巻く環境です。


カラオケの点数を競うテレビ番組、それに影響されるYouTuber、働けど働けど首の回らない経済状況、時間にも心にも余裕の持てない生活環境、日々外を歩くだけで降りかかってくる膨大な量の情報、そしてネットやDTM、ボカロといった技術によって誰でもアクセス可能になった天文学的な数の音楽。


選択疲れを起こした脳に更に膨大な量の選択肢を浴びせ付けたら、大抵の人は音楽を深く味わえなくなります。

必然変容する音楽への向き合い方。

必然増える、音楽をスペックで判断するリスナー。


誰が悪い、という話では恐らくなくて、言うなればみんなで寄ってたかって音楽を「商品化」した結果生まれたものの一つが作曲AIなのではないでしょうか。



脅威にも命綱にもなる「リスナー」


現状のAIでも「演奏スキル(正確さ)」「歌唱力」はクリアできています。

合成なので当然と言えば当然です。


そのうちMIX/マスタリングや歌詞の自然さもクリアするだろうし、「AIバーチャルシンガーソングライター」がリリースされれば外見や年齢といったスペックの問題もクリアできます。



しかし「それら」がどんなに人っぽい見た目で、人っぽい設定で、人っぽい曲を作って歌っても、

その工程に「人の手」も「人の心」も「人の人生」も加わっていないことは忘れてはいけません。


よくAIをボカロやDTMを一緒くたにして正当化する意見がありますが、彼らボカロPもDTMerも人間だという点を意図的或いは意図せず見落としています。


そして、芸術性はこうした作り手の心や人生から生まれるのです。



もし音楽をスペックでしか評価できないリスナーが全体の殆どを占めるなら、最早人間の音楽家はいずれAIに淘汰される運命。

しかしリスナーが「感性」を音楽に向け続ける限り、僕等がAIに潰されることはありません。


いかにも他力本願に聞こえますが、どこまでも音楽は聴き手との間にて成り立つもの。

カギを握るのはリスナーです。

《リスナーが音楽に何を求めるか》次第で、今後の音楽のあり方は大きく左右されます。



「それっぽければいいのでとにかく安く早く大量に欲しい」のか

今までにない曲、心を揺さぶる・突き刺さる曲、「本当に凄い」曲が欲しいのか。


良くも悪くも生き残るのはリスナーに支持される音楽です。

しかし、真に価値があるものがいつの世も支持を集めるとは限りません。


どんなに美しいダイヤモンドでも、その価値を理解出来て且つ買いたいと思う(買える)人がいなければ値段は付かないでしょう。



作り手と聴き手両方が試されることになるでしょう。

作曲AIの登場がそういったことを真剣に考えるきっかけになるのであれば、それだけでも非常に価値があるのではないでしょうか。



YUKISHIBA

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