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maliceberryblog

人はダイヤモンドの原石じゃないし、人生はカードゲームじゃない

「配られたカードで勝負するっきゃないのさ。それがどういう意味であれ。」スヌーピーが作中で言った有名な台詞です。

心が救われる名言として有名なこの言葉、正直これほどの欺瞞もないと思っています。

元々の自分でいることがそんなに美しいんですか?自分に無いものを羨むのはそんなに不幸でしょうか?



こんばんは、YUKISHIBAです。



冒頭の台詞は、天から与えられなかったものを嘆くことなく、与えられたものをいかに活かすかを大事にしようというメッセージの籠った意味で、悩める人の心を救ういわば名言の一つです。



つまりは、元々の自分のままで勝負しようよっていうこと。


ありのままの姿を見せるのよっていうこと。



そこで今回は、「配られたカードで勝負するしかない」という言葉がいかに人を救わないかを説いていこうと思います。



あ゛り゛の゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ま゛ま゛でぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛(やめなさい)



他人になろうとするほど不幸になる


いきがってみたところで早速。


冒頭のスヌーピーの名言、科学的には正しいようです…笑



他人と比較して、他人のようになろうとすればするほど人は自分で自分の人生を創っている実感が無くなるので不幸になり、

逆に自分が本来持っている特徴を尊重すればするほど幸せになり、一般には障碍とされることさえも強みに変えていくことが出来る。


というのが今の定説なのだとか。



で、実際これはとても的を射ているよなと僕自身も思います。




おや?今回のテーマが早速暗礁に…



とはならないわけで笑


落ち着いて考えてみてください。

僕等個々人が「本来持っている特徴」って一体何ですか?



人は「ダイヤモンドの原石」なんかじゃない


カードとは違った例えでいうと、「ダイヤモンドの原石」なんて例えを、少し前まではあちこちで見聞きしたものです。



小さな才能を秘めた人のことを指す「ダイヤモンドの原石」。

今は平凡な石に見えても、丁寧に磨くことでキラキラの宝石になる。


ダイヤモンドの原石を磨くといったら、そのままその人が本来持っている特徴に磨きをかけ、それが最大限魅力的に見えるようにすることを指します。




勿論本来の特徴を磨くのも大事だと思います。


けど、皆がそれだけで満足できるわけじゃないんです。


3カラットのダイヤモンドはどんなにキラキラに磨いても、5カラットにはならないじゃないですか。



元々30カラットのダイヤモンドとして生まれてきた人なら、元々の自分を磨くだけで良いかもしれません。しかし3カラットのダイヤモンドは3カラット以下にしかなれなれず、30カラットの宝石には価値で到底敵わないのです。



粒のような原石として生まれてきた大多数の人達は、一握りの巨大原石を羨む気持ちに蓋をしながら、粒なりの幸せを探すしかないのでしょうか?



人が元々持っているものなんてたかが知れている


これは僕自身が活動をしてきて、色んな人の色んな歌声を聴いてつくづく実感することです。



皆は、自分に配られたカードに満足できてますか?


僕は到底満足できませんでした。



ヴォーカリストとして僕に配られたカードは、低くて重く、バラードとの相性が良い歌声と、耐久性に欠ける喉。

レッスンの先生の方針もまた、元々の声の良さを磨いて活かしていくこと。



対して、僕が欲しかったカードは、強く自在な高音とかっこいい歪み、頑丈な喉。

そして、僕が望むようにマリベリを操縦するのではなく、マリベリが望むこと全てに自分の声で応えることが、僕のヴォーカリストとしての望み。



出しやすい低音でバラードばっかり歌うのがいくら上手くなったところで、僕にとっては無価値もいいところなんです。



だから僕は試行錯誤し、時に迷走したり喉を危険に晒したりしながら、レッスン当初ではどう頑張っても出なかったような音域まで拡張できました。


まだ満足してはいないし、満足することなんかきっとありません。



じゃあそんな僕は他人と比べてばっかりで不幸かというと決してそうではなくて、寧ろ無いものねだりにこだわったおかげでやっとここまで来れたという自負があります。



こんな生き方をしているとコンプレックスの塊みたいに映るのでしょうか。

だとしたら、人生はコンプレックスを抱えてなんぼですよ。何も恥ずかしいことではありません。全てはその存在意義を理解すること。



今の僕の目には、配られたカードだけで勝負していたら見ることは叶わなかったであろう景色が広がっています。



無いものねだりも自己実現のうち



僕等個々人が「本来持っている特徴」とは、最初に配られたカードだけではありません。

「配られなかったけど欲しかったカード」も含まれるはずです。


即ち、元々どんな人間であるかだけでなく、どんな人間になりたいかも含めて、その人の生まれ持った特徴なのです。



手元にあるものを喜ぶのと同じくらい、手元に無いものを嘆くのは大切なことです。

そこまで含めて本当の自分なのだから。

そこまで出来てやっと自己実現のスタートラインに立てるのだから。




自分が心の底で望んでいることを尊重せずして「本来の自分を尊重する」なんておかしい話です。



つまるところ、人間はダイヤモンドなんかじゃないし、人生はカードゲームなんかじゃないんです。


5カラットから10カラットに進化することも出来るし、足りないカードはどこかから奪って来ればいいんです。



人が進化するときとは、何か新しいものを手に入れる時。

自分が既に持っているものばっかり見ていても、「深化」することはあっても「進化」はないと思っています。


両方ないとバランスを欠いてしまいますが、深化に重きを置いてしまうのはもっと歳を取って、一通り進化を試みた後でも遅くないのではないでしょうか。




YUKISHIBA

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