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maliceberryblog

【兼近さんの件で考える】良い行いをすることと悪い行いをしないことの違い

現在ニュースを騒がせている一連の強盗事件。その親玉とお笑いコンビ・EXITの兼近さんとの過去の関係性についての疑惑がネットニュースで出回っています。

更生し償い続けていても尚蒸し返される罪。「ホワイト社会」へとひた走る今、この件から僕等は何を学ぶべきでしょうか。




こんばんは、YUKISHIBAです。



先に言っておくと、今回はニュースを深掘りする記事ではありません。


どうやらニュース自体に悪意的な脚色もあるようですし、ニュースにも兼近さんの過去にもそんなに詳しくないので、悪しからず…



ニュースはあくまできっかけ。

兼近さんの過去が改めて蒸し返されている件を受けて、僕自身改めて考えを巡らせたことがあります。


次々繰り出される情報に翻弄されるのではなく、この件をきっかけに何を学ぶべきなのか考えていきます。



何年経っても罪は罪


何年たっても、どれだけ反省しても、ことあるごとに罪は掘り返される。

これは兼近さん自身が一番よくわかっているでしょうが、罪を犯すということはこういうことなのです。


一度罪を犯した事実は、本人がどれだけ償っても更生しても向き合い続けなきゃいけないこと。


償ったとしても、償い続けているとしても、罪を犯して被害者がいる限り、後ろ指を指されても「もう俺はあの時の俺とは違う!」なんて言い訳は通りません。


被害者がいるなら尚更。


正しいかどうかの問題以前に、罪とはそういうものです。



ただし、だからといって人の後ろ暗い過去を外野が「正義感オナニー」のために好き勝手にあげつらっていいことにはなりません。



ネットニュースを見て、批判コメントを見て、便乗批判して、イイネを貰って快楽物質ドバドバの民衆に言いたい。


被害者をオナニーのオカズにして、お前らに人としての尊厳はないのかと。



外野が「もう更生したんだから過去の話!」と擁護するのと同じくらいかそれ以上に、外野が「芸能界から永久追放しろ!」と顔を真っ赤にするのもお門違いな話なのです。




僕等の生活はクズと前科者に支えられている


能力の優れた人間は人格も優れているでしょうか?

社会的地位の高い人間は経歴も至極潔白なのでしょうか?


もしかしたら「自分だけは綺麗に生きている」と思っているかもしれません。

「平凡でも真面目に生きている人間が一番偉い」と信じているかもしれません。


けど薄々感づいてるのではないでしょうか。


僕等は沢山のクズと前科者の才能や功績のおかげで、今の心身共に豊かな生活を享受できているのです。



政治家は前科のある人でも選ばれさえすればなれます。

芸能人もほぼ同じ理由で前科者もいるし元ヤンも多いですね。

あなたの住む家を建てた職人だって前科者や元ヤンかもしれません。


個人で言うと、ウォルト・ディズニーがレイシストだったという話は有名です。

イーロン・マスクは…クズとは違いますがその発言に翻弄され損を被った人も少なくないでしょう。

スティーブ・ジョブズに至っては書ききれないくらいのクズエピソードがあることはアップルファンの間でも有名笑



僕等は前科者が取り仕切る行政サービスによってなされる、充実した生活インフラを享受し、

折り紙付きのドクズによる発明品に四六時中釘付けになり、

レイシストが作り上げた夢の国で恋人や友人との思い出を作り、

元ヤンと前科者達のパフォーマンスに熱狂し、コントで笑い、演技で感動し、彼らに会うことを糧に日々の仕事を頑張っている。



僕等はすでに取り返しがつかないくらい、そういった「黒い人達」の恩恵に与かり生きているのです。

今更それらをすべて排除するなんて不可能です。




勿論、世紀末みたいな世界にならないためにも、人に危害を加えないように生きることは確かに大事。


ただ、「いかに悪いことをしていないか」で人間の社会的な価値は測れません



人は「何をしてないか」ではなく「何をしたか」で評価されるべき


悪いことをしないことと良いことをすることは全く別です。


ここを一緒くたにしてしまうから、功労者のたった一つの悪事や醜聞を殊更にあげつらって、自分の方が人として価値が高いかのように錯覚するのです。



国力を支えるのは大多数の平凡な人。

ただし、彼ら平凡な人々の生活に革新をもたらしたり、熱狂を生んだり、大きな楽しみ・大きな恩恵をもたらすのは少数の非凡な人です。


あなたの「推し」もその非凡な人の一人。


非凡な人は人格者かもしれないし、とんでもない人格の持ち主かも知れない。

もしかしたら前科があるかもしれない。


けど、人は良い・悪いでは切り分けられないように、罪もあれば功績もある。



僕の尊敬する人の話をすると、マリリン・マンソンはまさに人生の押してはいけないスイッチをほとんど押してる人なんですが、

それでも世界各地に熱狂的なファンを抱えるロックスターであることは揺るがない事実。

僕にとっては、サンホラ・DIRと並んで僕の音楽観に多大な影響を与えた三本柱の一人。



もし仮に陛下やDIRのメンバーに犯罪歴があるとわかっても、変わらず応援し続けるでしょう。

罪も事実なら、彼らが僕にくれた幸せもまた事実だから。



何人も、全ての人を救うことは出来ないし、誰にも迷惑をかけずに生きることも出来ない。


世の中を、人の人生を変えるのは「清廉潔白な人」ではなく、「光るものを持っている人」なのです。




他人を許さないことで自分の首が絞まる


これをわかっていない人があまりに多いように思います。



ほとんどの人は「被害者に寄り添う社会」を求めます。

しかし、それは「加害者に国民総出で石を投げる社会」でしょうか?




本当に豊かな社会は、真に優れた者や潔白な者だけを選別する社会ではなく、全員平等とまではいかなくても、弱者も障碍者も守っていく社会なのだと思っています。


そして重要なのは、この「弱者」の中には元犯罪者も含まれること。



もしかしたらこれは、大昔の人類が体得した本能には反するかもわかりません。

ただ少なくとも、強いコミュニティとは色んな属性の人が共存できるコミュニティです。




しかし正義感オナニーに熱中しすぎると、残念ながら「犯罪者を全員死刑にすれば犯罪は減る」のような暴論も飛び出してしまいます。



更正の機会を与えるのがそんなに嫌なら、犯罪者が社会で認められるのがそんなに嫌なら、日本に刑法は必要ない。


強盗だけじゃない。傘パクもスピード違反も信号無視も、会社の備品持ち帰る奴も全員死刑ってことにすればいい。



完全に潔白な人間なんてほとんどいないのに、結局「自分は良くて他人は駄目」と言いたいだけなのではないでしょうか。




過去は変えられません。


後ろ暗い過去は、普通の何倍も頑張って、今を必死に生きていくことで償っていくしかなく、ことあるごとに蒸し返されたとしても、唯誠実に生きるほかにないのです。



「更生なんか出来っこない。出来たとしても被害者は救われない」「全員死刑」と考えたくなる気持ちもよくわかります。僕も何年か前までそうでした。


ただ償いのチャンスさえ得られれば、暗い過去を越えて社会に大きく貢献し、大勢から尊敬される人間にだってなり得る。


その可能性を摘んでしまうことによる社会的損失は、「重い罪を犯してないことぐらいしか特段誇れることのない凡人」がいくら群れになったところで、到底埋め合わせられるものではない。




ここまで読んでくれた方なら、「加害者を徹底して許さない」ことがいかに危険か、うっすらでも想像できるのではないでしょうか。



人は限りなくまっさらな状態で生まれてくる故、良くも悪くも環境次第でどうにでもなる。


またどんな人格者でも、どんな才能のある人でも、道を踏み外すときは踏み外す。

罪を犯しやすい人間がいるのではなく、罪を犯しやすい状況があるだけ。




もし自分がほんの一時の誤りで道を踏み外してしまった時、そこが「加害者に国民総出で石を投げる社会」だったら…?


石を投げる側でいられる間は良いです。でも自分が石を投げられる側にならない保証なんてどこにも無いんですよ?



スキャンダルに群がって叩くのが好きな人、自分は永遠に石を投げる側でいられると錯覚している正義中毒者におかれましては、自分の行いが巡り巡ってどれだけ僕等の生きる社会を貧しく冷たくするか、よく考えてからSNSに向き合うことです。




YUKISHIBA

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